CiRAニュースレターvol.36
2019年1月31日発行
三成 寿作 准教授

第2回ヒトゲノム編集に関する国際サミットへの参加を通じて

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2018年11月26日、中国でのある双子の誕生についての報道が注目を集めました。報道によると、この双子の父親はHIV陽性であり、将来に渡って子がHIVに感染しないように、受精胚の段階で子の遺伝情報の一部がゲノム編集技術により改変されている、とのことでした。

このような遺伝情報が改変された子どもの出生は、現時点では国際的に認められておらず、今後のあり方を議論する最中にありました。現に、さらなる議論を深めるために、同年11月27-29日には、香港において“第2回ヒトゲノム編集に関する国際サミット”(*1)という国際会議が設定されていたところだったのです。そのような中、会議前日に突然の報道があり、会議二日目には会場内で双子の出生に携わった中国の研究者によりその経緯や手法についての報告がありました。私も参加していたのですが、まさに“晴天の霹靂”でした。

三日間の会議を通して、様々な国の専門家によるゲノム編集技術の現状や方向性についての議論があり、最終日には声明が公表されました。この声明では、子どもの出生に向けた受精胚へのゲノム編集技術の使用(臨床応用)は時期尚早であり、恩恵やリスク、監督体制のあり方に関する継続的な議論が必要との見方が示されています。また報道や会議において報告された双子の出生に関しても、国際的な規範への順守の必要性に加え、第三者的な評価の推奨が言及されています。

この状況に対する私の所感は、きっかけはどのようなものであったとしても、私たちは、このような技術の活用にいずれ親和性を示してしまうのではないか、ということです。つまり、最初は嫌悪感や抵抗感を覚えたり、安全性や有効性の観点から批判を投げかけたりしても、技術の発展につれてこのような行為を次第に認めてしまうのではないかということです。ゲノム編集技術は、日々精度や安全性、応用可能性を磨きながら、潜在的な恩恵や希望を幾重にもまとい、私たちにその有用性をアピールしてくるのです。この魅力に抗うことができるのでしょうか。

生命倫理の領域では、「滑り坂論/滑りやすい坂論」という用語があります。これは、一度でも受容してしまうとその先にあるものまでも連鎖的に受容してしまうため、進めてはならないものがあるとしたら最初から受容してはいけない、という見方です。ただ、視点を変えれば、最初の一度の受容により、その行為の実用性や希望が高められるようにも捉えられます。生命の誕生にかかわる技術の受容について、国内では、2001年以降、ヒトクローン作製が法律で禁止されているのに対し、体外受精を介した子どもの出生は、1978年の英国での最初の出生報告を皮切りに国内でも普及しています。ゲノム編集技術を施した子どもの出生のあり方をめぐっては、どのように考えていくべきでしょうか。是認するのであれば、優先順位を含めた対応方針の検討に加え、健常と異常や医療と非医療との線引き、さらには将来世代への配慮などについて社会における議論を深めていく必要があると思います。

(文・上廣倫理研究部門 三成 寿作)