「未知なるもの」について考える難しさ
iPS細胞やES細胞からヒトの受精卵(胚)を模倣した構造体(=ヒト胚モデル)を作製する研究が進展するにつれ、そうした研究をめぐる規制の状況も少しずつ変わってきています。
2025年8月、国際幹細胞学会(ISSCR)は幹細胞研究に関する指針をアップデートし、ヒト胚モデル研究の規制を見直しました。2021年の指針では、 胚モデルを、「発生を部分的に模倣した非統合型」と「発生全体を模倣した統合型」に分け、特に統合型には特別な審査や報告義務を課すなど、より厳しいルールが適用されていました。しかし、今回のアップデートではこの区別を撤廃し、全ての胚モデル研究を一律に監視する方針に改められました。なぜ、ISSCRはこのような方針転換をしたのでしょうか。
最大の理由は、胚モデル研究がここ数年で大きく進展したことです。具体的には、非統合型のモデルであっても、複雑な構造を備えたり、より進んだ発生段階に近づいたりする例が報告されるようになりました。つまり、非統合型=倫理的懸念が少ないとは言えず、統合型/非統合型という分類が実質的な意味を持たなくなったのです。ISSCRは、これらの胚モデルが実際のヒト胚と生物学的に同等ではないことは認めつつも、研究がどこまで進展するか予測し難い以上、統合型、非統合型にかかわらず、まとめて SCBEMs (Stem Cell Based Embryo Models:幹細胞由来のヒト胚モデル)として包括的に扱い、一律に監視すべきだと判断したのです。
ただ、胚モデル研究のような急速に進む領域で適切なルールを作ることには、特有の難しさがあります。
胚モデルは、精子と卵子の受精を経ずに作られるため、「受精後〇日」という基準で培養期間を管理できません。従来のヒト胚研究では、「受精後14日」など日数を基準に一律に培養期間を規制してきましたが(いわゆる「14日ルール」)、胚モデルでは受精という起点がないため、日数を基準に規制することは現実的ではありません。
また、現時点でヒト胚と同等の発生能力を備えたモデルは作製されていませんが、将来的にそのような胚モデルが出てくる可能性を完全には否定できません。つまり、「胚モデルがどこまで実際のヒト胚に近づくのか」という最も重要な科学的事実が不明な中で、実際に機能するルールを定めなくてはならないのです。
これまでにも、ヒト胚やヒトの発生に関する研究にはルールが作られてきましたが、そこでは「ヒト胚とは何か」「どのような能力を持つのか」という科学的事実について専門家間で一定の共通理解がありました。そのうえで、ヒト胚の尊厳や研究で得られる知見にいかなる価値を認め、どこまで研究を容認すべきかが議論されてきたと言えます。しかし、胚モデルの場合は、科学的に不確実な点が多く、どこか「未知なるもの」を対象にルールを作らなくてはなりません。ここに胚モデル研究を規制する特有の難しさがあると言えるのではないでしょうか。
(文· 赤塚 京子 上廣倫理研究部門特定助教)