CiRAニュースレターvol.43
2020年10月22日発行
三成 寿作 准教授

さらとモード

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哲学者の鷲田清一先生の本を読むと、言葉に潜む力や価値に気づかされます。『ことばの顔』(中央公論新社)の「モードの論理」では、「さら」という言葉が扱われています。新しさを意味する「さら」は、「さらの服」のように取り替えられるものや買い換えられるものにしか使えないそうです。そして、「さら」の持つ「仕切り直し」、「新しいものへの追及」の意味合いから、話題は「モード(流行)の社会」に移行します。この社会は、工業製品や食料品などだけでなく思想までも新しさを追い求め、流行り廃りの風を受け得るそうです。

学術の領域に目を向けると、「さらの研究」とは呼び難い気がします。どのような研究も過去の発見や経験を基に成り立ち、過去を断絶してまっさらに行われるわけではないからです。しかし、モードについては影響を受けるように思われます。生命科学では、遺伝子組換え技術やゲノム編集技術のように、突然、新しい技術が顕在化し新たなモードを作り得ます。一方、生命倫理の研究もまた、このような技術の登場による、伝統的な見方や価値観の動揺に応じた波を受ける傾向があります。

学術領域におけるモードは、たしかに必然的な事象なのかもしれないのですが、生命倫理において普遍的な価値観、将来に継承すべき生命観や身体観、社会観を検討していくためには、モード型のみならず、脱モード型の研究を目指す必要があります。モード型と脱モード型のバランスを取りつつ生命倫理の研究の発展に寄与していきたいと考えています。

(文・上廣倫理研究部門 三成 寿作)