インフォームド・コンセントの起源に触れる
新しい薬や治療法の開発では、安全性と有効性を確かめるために人間を対象にした臨床試験が行われています。臨床試験を実施する際には、医師や研究者は試験の参加者に十分な説明を行い、参加者による自発的な同意が必須とされます。この一連の説明と同意はインフォームド・コンセント(以下、IC)と呼ばれ、現在、その理念は世界中で共有されています。しかし、長い医学研究の歴史を振り返ると、臨床試験でICが当然のように行われるようになったのはごく最近と言えるかもしれません。
ICという言葉は、1957年米国での医療過誤をめぐる訴訟(サルゴ判決)の中ではじめて登場したと言われています。一方、ICの概念はそれよりも前の、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの医師たちによる人体実験に由来すると考えられます。
第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判では、人間を対象とした医学研究に関する10項目の倫理原則(ニュルンベルク綱領)が提唱され、被験者の自発的同意が第一に謳われています。現在、ニュルンベルク綱領は、研究倫理や医療倫理の根幹となり、ヘルシンキ宣言をはじめとする国際的な倫理指針に反映されています。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にICの起源があると考えていた私は、2018年8月、第一強制収容所と第二強制収容所を訪れました。人体実験が行われていた第一強制収容所の建物は博物館として残され、現在、実験の対象となった方々の写真とともに資料が展示されています(写真1)。一方、死の工場とも呼ばれる第二強制収容所は、戦局の終盤、ナチス・ドイツの証拠隠滅により施設の殆どが破壊されました(写真2)。広大な大地に残る大量殺戮の跡。物証が痕跡の程度でしか残されていない状況で何を思い、何を感じるか。少なくとも私にとって、その痕跡には魂を揺さぶる絶対的な存在感がありました。
医学の発展や医療の実践には時として様々な困難が伴います。その中で先達はICのあり方を議論し発展させてきました。ICは人間が考え出したもの、その存在を望み、大切に育てる人がいなくなればたちまち形骸化してしまいます。生命倫理学は、様々な立場の方々が集まり、ICのような理念が発展的継承される場であるように思われます。これからも生命倫理学やICに関わる研究を続けることで社会に貢献したいと考えています。
(文・上廣倫理研究部門八田太一)
(写真1)第一強制収容所の入口
(写真2)第二強制収容所に残された線路