CiRAニュースレターvol.50
2022年7月19日発行
奥井 剛 研究員

死後数時間のからだをめぐる科学と倫理

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近年、遺伝子解析技術の発展などにより、生物学および医学研究における死後早期の組織サンプル(以下、早期死後組織)の重要性が高まっています。研究に必要とされる良質なデータを得るためには、RNAやDNAの構造が分解される前に解析を行わなければなりません。そのため、死後数時間以内に病理解剖(剖検)を行い、採取された組織を解析にかける必要があります。

米国では、臓器移植に不適合となった臓器や手術で摘出された組織に加え、剖検から得られた臓器や組織も、規制や指針によって明確に定められた手順に従って研究に利用されてきました。早期死後組織の研究利用には明確な規制はありませんが、1980年代からブレインバンク(※1)によって始められ、関連規制に基づき諸研究機関が独自に作成したガイドラインに従って研究利用が進められています。2000年代から特にがん医療センターなどを中心に広がりを見せており、本号の特集である免疫療法などを含む重要な医学研究に貢献しています(※2)。

日本では規制的・倫理的背景から、研究目的での死後の臓器や組織へのアクセスは限られてきました。日本の臓器移植法では、臓器移植の残余臓器と組織は焼却されなければならないと定められています。また、剖検はおもに系統解剖、法医解剖、病理解剖に分類されますが、このうち人々の篤志によって献体が行われる系統解剖は、主に医学教育を目的としたものに限られています。したがって死後組織については、法医解剖および病理解剖のために摘出された組織の一部のみが研究に利用されているにとどまります。

とりわけ遺伝子解析を伴うような先端的な研究に関しては、自分の体を死後に利用してほしいと願う方がいたとしても、倫理的な問題や国内規制上の位置づけがいまだに明確でないため、実際にそれを行うのは難しい状況にあります。医療機関が必ずしも組織採取に要する時間的な制約に対応していないため、運用上の困難も伴います。

こうした現状を踏まえ、われわれのプロジェクト(※3)(下図)では、機関内のガイドライン作成、プラットフォーム構築を視野に入れつつ、まずは死後組織の研究利用に関する規制上の位置づけや哲学的、倫理的な問題点を整理し、明確にする必要があると考えています。倫理学や科学の知見を寄せ合い、市民の皆さんとともに議論していくことで、ゆくゆくは責任のある制度の構築につながることを願っています。

 

(※1) ブレインバンク:研究への提供を前提として、亡くなった方のご遺族の同意を得て病理解剖を行い神経系組織を系統的に保存する機関
(※2) J. E. Hooper, A. K. Williamson (eds.), Autopsy in the 21st Century, Springer, https://doi.org/10.1007/978-3-319-98373-8_10
(※3)ASHBiにおける若手研究者中心の融合研究プロジェクト

(文· 奥井 剛* 京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(ASHBi)特定研究員)

*CiRA上廣倫理研究部門で受け入れている研究員