CiRAニュースレターvol.31
2017年10月18日発行
三成 寿作 准教授

問われる「人工」との共生

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今、AI という言葉が世間で話題になっています。ここでいうAI とは、もちろん人工知能(artificial intelligence)のことであり、最近では、エンターテインメントからビジネス、医療や裁判、ひいては軍事まで幅広い領域で耳にします。わかりやすい事例の1つには、囲碁界や将棋界におけるAI 棋士の登場があるでしょう。人間の棋士とAI 棋士との闘いは、日々目を離せない状況を迎えています。将棋といえば、藤井四段の活躍の背景にもAI を用いたトレーニングがあったそうです。これは、AI、つまり、人の手によって生み出された「人工」を人間の能力を磨くために用いた顕著な例とも呼べるでしょう。

また「人工」といえば、再生医療のキープレーヤーでもあるiPS 細胞と密接な関係があります。iPS 細胞の英語表記は induced pluripotent stem cells であり、日本語では「人工」多能性幹細胞と表されることが一般的です。iPS細胞の「i」の字には、「人工」の意味合いが見て取れるのです。見方によっては、iPS 細胞は「人工」が溶け込んだ細胞ともいえるでしょう。これは、iPS 細胞が皮膚や血液などの細胞に人の手が加わって作られることに由来します。このiPS 細胞は、安全性への配慮の下、これまで治療が困難であった病気のしくみについて調べたり、新しい治療法を開発したりと多方面で役立てられようとしています。人間が、細胞に「人工」を持ち込みながら病気に果敢に挑もうとしているのです。

要は、AI であってもiPS 細胞であっても、「人工」というものを使って、自身の能力を高めたり病気に立ち向かったりと人間の持つ可能性を探求しているのです。そうだとしたら、「人工」というものは、ひとえに人間にとって良いものなのでしょうか。もちろん、そんなに単純なものではないことはお察しの通りです。無条件で受けいれて良いものではなく、「人工」とのつきあい方が大事だという話に尽きます。

では、誰がそのつきあい方について考えていくのでしょうか。たしかに、専門家による対応は1 つの重要なアプローチといえるでしょう。しかしながら、科学技術や医療技術が目覚ましく発展する中、最近の‘人工’ は、人間の知能を超越したり生命のしくみを操作できたりと、知的活動や出生のあり方という人間の根本的な価値、ひいては社会的価値をも揺さぶり始めています。可能性と不確実性が膨らむこれからの社会、言い換えれば、私たちの暮らしのあり方を問う上では、専門家のみならず、まさに一人ひとりが目に見えない価値というものにも気を留めつつ、「人工」とのつきあい方と向き合う時代へと差しかかっているのです。

(文・上廣倫理研究部門 三成 寿作)